コメント: 137
  • #137

    ご質問(うたごえ運動初心者) (木曜日, 29 8月 2019 19:18)

    #92 の投稿の方(たかちゃん)にお尋ねします。

    「京都のうた協が何かおかしな方向に向いていると感じる」とお書きになっています。これは具体的に、どのようなことを指して「おかしな方向」、つまり「うたごえ歴史や伝統に反する・それと異なる方向に進んでいる」と、お感じでしょうか。

    私はうたごえの運動にあまり長くは関わっておりませんが、
    分からないのですが、単純に興味があり、お伺いする次第です。

    ご教示下されば幸いです。


    >#92 たかちゃん (火曜日, 13 1月 2015 20:19)
    >少し古い話題ですが、昨年12月6日に、京都電通合唱団創立60周年記念コンサートがあり、聴いてきました。
    私が電通合唱団に関心を持ったのは、日本のうたごえの歴史の中で、全電通は1964年電通のうたごえ祭典の運営をめぐり日本のうたごえ実行委員会と対立し、1965年11月に日本のうたごえ実行委員会から分裂し、日本音楽協議会(会長:芥川也寸志)を設立した中心だったからです(他に、全逓、全林野、私鉄、国労、全専売、そして自治労も)。にもかかわらず、京都では(大阪、兵庫でも)電通のうたごえの灯を守り、今日までうたい続けた苦労と努力を多とするからです。実際、コンサートでは「熾烈な攻撃の中で、職場の民主化を願い人間らしく働き続けたいと心を寄せ合い歌った」その歴史が表れていました。「母さんの樹」は、今、どれだけの人が知っているでしょうか?
    京 都 の う た 協 が 何 か お か し な 方 向 に 向 い て い る と感じる私にとって、電通京都のうたごえは、働くものの歌声の方向(何をうたっていくべきか)、そしてうたうことだけでなく実際の行動も、という方向性を示唆しているのではないか、と感じました。

  • #136

    しげるちゃん (月曜日, 18 12月 2017 08:17)

    なつかしいね!巣立ちも歌いだして10年目に突入か!来年も頑張ろうね!

  • #135

    しげるちゃん (火曜日, 05 12月 2017 12:36)

    HPの絵が更新されましたね。Z画伯の絵力に拍手喝采。
    しかし、たかちゃんはエライね。内灘見聞記んいも拍手喝采。

  • #134

    たかちゃん (火曜日, 28 11月 2017 15:30)

    2017日本のうたごえ祭典inいしかわ・北陸 への参加はお疲れさまでした。
    私は、これを機会に、かつての内灘闘争の跡地を見学し、そして大音楽会に臨もうと思いましたので、その経過を書いてみました。

    2017日本のうたごえ祭典inいしかわ・北陸の大音楽会の冒頭に「内灘かぞえ唄」が演奏されるとの話を聞いたとき、
    私は、この機会にぜひかつての内灘闘争の跡地を訪れてみたいと強く思いました。
    私が内灘闘争のことを聞いたのは大学生の時で、日米安保条約の再改定や沖縄、ベトナム、東富士、ビキニデーなどの
    活動のなかで、先輩などからよく聞いたものでした。
    米軍砲弾試射場に使用するために政府が決定した内灘砂丘地接収計画に反対し、住民がデモや座り込みを続けたもの
    の、結局接収されたが1957年に返還されたこの闘争は、初期のうたごえ運動としても大きな意義をもったものとして
    今も語られています。 「内灘かぞえ唄」はその象徴のようなものでしょう。

    11月25日午前8時前の荒天のなか、北陸鉄道内灘駅から歩き始め、約15分で荒波が打ち寄せる内灘海岸に出ると
    約100m東方に「射撃指揮所」の建物がありました。 すぐそばに50m四方はありそうな半分は砂に埋もれた海の家の
    廃屋があり、これに比べると指揮所の建物はよく保存されており、内灘町が史跡として保存活用に努力していることが
    分かります。 (写真1)
    急に雨が降ってきたのでいったん内灘駅に戻りました。 途中に、これも遺跡の「鉄板道路跡」がありましたが、雨のため
    見学は割愛しました。
    内灘駅からは町営バスで白帆台公民館まで行き、そこから約5分で海岸添いの高台にある「着弾地観測所」へ行きました。
    約300mの道は途中まで舗装され、その先も砂利道ですがよく整備され、道の両側も除草されていて、ここにも内灘町の
    取り組みが認められます。 ごつごつとしたコンクリート製の建物で一部は崩れていましたが、ほぼ当時のままの姿でした。
    海に面して横長ののぞき窓(ゴルゴ13の眼のような)から、着弾の様子を観測していたことが分かります。 (写真2)
    観測所跡地はもう1箇所あるのですが、バスの便がないため、今回は断念しました。

    現地の遺跡を見学し、大音楽会で唄を聴き、合唱曲集で歌詞を読んで見ると、当時の、それこそ何もない中での素手の
    闘いの様子が迫ってきました。 (写真3)
    そしてそれは当時のものだけでなく、今、現実に沖縄の辺野古、高江で行われている政府の行為と、それに対する
    反対・抗議行動とダブってきます。 うたごえの仲間も多く参加しています。 あらためて「うたごえは平和の力」という実感
    を強くしたいちにちでした。

  • #133

    管理人 (火曜日, 07 11月 2017 18:36)

    九十九里浜の朝焼けの海は、それはそれでもステキな写真ですが、たまには気分を変えて見ました。

  • #132

    しげるちゃん (火曜日, 07 11月 2017 17:54)

    沖縄防衛局は昨日、辺野古の新たな護岸工事の着工を強行しました。沖縄うたごえのつどい報告で書いた海側のテント村、沖縄を返せを歌った海岸沿いのすぐそばです。報告にも書いたように抗議活動や翁長知事、稲嶺市長の権限行使のため工事は「重大な遅れ」があり、肝心な部分にいきつきません。今回も示されたオール沖縄の思いを踏みにじる暴挙は許せません。

  • #131

    しげるちゃん (火曜日, 07 11月 2017 17:37)

    HPの写真が九十九里浜の朝焼けの海からZ画伯による紅葉の絵に変わりましたね!すばらしい!

  • #130

    たかちゃん (金曜日, 23 9月 2016 23:11)

    9月17日・18日の両日、福島県へ行ってきました
     直接の目的は、福島県二本松市で開催される「全国教育のうたごえ交流会in福島」に参加しないか、と知人から誘われたからですが、
    それだけでは行かなかったと思います。  何よりの魅力は、17日の福島県内被災地ツアーと、18日午前中の「松川事件の跡地を歩く」
    個人ツアーがあったからです。  以下はその報告です。
     私が被災地を訪れたのは、一昨年11月の日本のうたごえ宮城祭典の終了後に、仙台市の長町仮設や岩沼市の千年希望の丘、名取
    市の閖上地区のみでした。  今回は福島県いわき市、広野町、楢葉町、浪江町などを訪問するというのでぜひ行きたいと思いました。
     特に目についたものは、海岸線の防潮堤工事の様子、田畑や民家などの除染作業とその結果としての膨大な汚染土の入ったフレコン
    バッグの無数の仮置き場、荒れ果てた帰還困難区域、住民のほとんどいない街角と対照的に多数の作業員、などなどでした。  帰還困
    難区域では国道6号と常磐自動車道とそれらに交叉する主要道以外はすべて封鎖されている中を走行しました。  パトカーがたくさんい
    ました。  帰りに浪江インター付近の空間放射線量が3.7ミリシーベルトと表示された時はぎょっとしました。
     しかし、何と言っても深刻に感じたのは、浪江町の宝鏡寺の住職夫人の話でした。 浪江町には以前は7600人ほどいたのに現在帰還
    しているのは700人に満たず、昼間に町内を車で走れば住民を見かけるが、夜は周囲にたくさんの家があるのに自分の家以外は真っ暗
    になるし、買い物はできるものの病院は結局は仮設住宅のあるいわき市まで行かねばならないので、車が運転できる老人しか帰還でき
    ない状態にあることを話され、結局は「復興・復帰という名の切り捨て」だと結ばれました。 被災から5年半経った厳しい現実を目の当たり
    にしました。

     松川事件は昭和24年に発生したもので、私が産まれる前のことですが、無罪になったのは中学時代で、当時の新聞で読んだ覚えがあり
    ます。 その後、手塚治虫や松本善明の本、山本薩夫の映画などで興味をつないでいました。
     今回、宿泊が二本松市内で、JR東日本の二本松駅の北隣がうたごえ交流会の会場のもよりの安達駅、さらにその北隣が松川駅というこ
    とで、めったにないチャンスと思い、小雨のなかでしたが、跡地と記念碑を見てくることにしました。  松川駅の北方約2kmの現場までは
    15分ほど農道を歩くと着きました。 線路沿いに当時の国鉄が建てた殉職碑と観音像が区画で囲まれてあり、その向かい側に東日本旅客
    鉄道労働組合が建てた「謀略忘れまじ松川事件碑」がありました。  そしてそこから田を挟んで事件後に敷設された上り線路脇に建てられ
    た原告団・弁護団・支持者による「松川記念塔」があり、広津和郎による碑文がはめこまれていました。  この碑文は「人民が力を結集す
    ると如何に強力になるかということの、これは人民勝利の記念塔である」と結ばれています。  現在の情勢を考えるとまことに意味深い文
    章だと改めて思いました。

  • #129

    よしのり (火曜日, 19 4月 2016 22:23)

    昨年の収穫祭で忠ヤンが問いかけました。
    「言葉か音楽かどちらが先か?」と。

    今に至るもあれこれと考えているのですが、
    京都大学総長の山極壽一さんと京都府生活協同組合連合会会長理事の上掛利博さん(京都府立大学公共政策学部教授)が生協連の誌上で次のような対談をされておられましたのでご紹介します。

    <音楽は「共同の子育て」から生まれた>

    上掛:人間だけが「家族」と「共同体」という2つの関係を両立させてきた、と書かれていますね。

    山極:人間の祖先は、直立二足歩行をしていたと思われますが、二足歩行は敏捷性にも速力にも劣るので、肉食動物の格好の餌食になり、とくに幼児の死亡率が上がります。そこで人類は、多産という能力を身につけて、短期間に何度も子どもを産み、子孫を絶やさないようにしました。
     母親が次々に子どもを産むと、母親だけでは育てられないので、家族以外の人も子守歌を歌うなど育児に参加するようになります。つまり、「共同の子育て」が始まって、子どもは特定の親の持ち物ではなく、みんなのものになった。そこから人間の社会性がめばえたのではないかと思います。

    上掛:子守歌の抑揚は世界中ほぼ共通しているとありましたが、それは「共同の子育て」と関係していますか?

    山極:ゴリラやチンパンジーのように母親だけが子育てをする場合は、子どもは抱かれていれば安心できるので泣きませんでした。でも、人類になって多産で数多くの子どもが生まれ、いろいろな人が保育に参加するようになると、赤ん坊をあやす必要が出てきます。そのときに子守歌が生まれたのではないかと思われるのです。
     なぜなら、子どもは絶対音感を持って生まれるからです。赤ん坊は、言葉の意味などわかりませんから、おとなのあやし言葉や子守歌を「音の連なり」として聴いています。子守歌やあやし言葉が、高音で、ゆったりとしていて、繰り返しが多用されるのは、それが赤ん坊の耳に心地よく、安心感を与えるからです。
     このように、歌を使って同調したり、心を共有したりするコミュニケーションが、やがておとなの間にも普及して、人びとは音楽的コミュニケーションによって一体化し、人間に特有の社会性を身につけたのではないでしょうか。それはおそらく言葉が出現する以前のことだったでしょう。その結果として、われわれはゴリラやチンパンジーにはない複雑な社会をつくれるようになったのだと思います。

  • #128

    たかちゃん (金曜日, 19 2月 2016 22:49)

    今年のつぶやきのはじめは少し遅くなったが昨年のまとめから。
    昨年中のうたごえ関係の参加は次のとおりだった!
    ★レッスン:フレンズ16回:巣立ち20回:PC14回:その他3回★争議支援:京都13回:大阪2回★うたごえ喫茶:ホット5回:バラライカ3回:ランディシ7回:コスモス2回:アークデュー2回:ほっと大阪2回:その他2回★各種集会:京都11回:大阪12回:その他3回★会議:11回★演奏会:京都5回:大阪3回:東京2回:名古屋1回:奈良1回★合唱発表会:京都4回:大阪2回:名古屋2回  であった。延べ148回とは我ながらよくがんばったものだと感心したいる。(うたごえ関係以外のものはまだある。)
    今年もがんばるぞ!!

  • #127

    しげるちゃん (金曜日, 12 2月 2016 18:01)

    自民党の宮崎が辞職するのは当然だけど、補欠選挙の投票日が4月24日だって。4.9巣立ちのコンサートを、補選勝利への決起の場にしましょうね!

  • #126

    たかちゃん (日曜日, 01 11月 2015 22:33)

    10月31日(土)に大阪で「争議団を励ますうたごえのつどい」が開催されたので参加しました。開会前に、男声合唱「スクラムひろげて」の練習と日うた愛知での職場合同曲「足音高く」「手をつなごう」のレッスンがありました。「手をつなごう」は前半の部分はともかく、後半の字余りの部分は私には難しかったですが勢いで通過し、何とか歌えました。(もういちど歌ってみろといわれても・・・)
    さて「つどい」です。JAL、聖家族、大阪市の争議団と併せ、中津学園の安東さんの現況が分かったのですが、内容は控訴審での敗訴ということで、上告してがんばっているということで更なる支援の必要性を感じました。安東さんとは昨年の「あんらぶコンサート」以来のおつきあいで、時たまお見かけしていたのですが、今回お会いしてお元気なので安心しました。さらに、この日は安東さんをモデルにした曲「春の祝福」をレガーテのボイストレーナーの柏原信江さんが素敵な演奏で聴かせていただき感激でした。「春の祝福」と安東さんの関係は、うたごえ新聞の今年
    4月13日号や11月9日号に載っているので読んでください。私は、男声合唱で「スクラムひろげて」を歌い、うたう会では「心はいつも夜明けだ」を歌いました。

  • #125

    しげるちゃん (水曜日, 14 10月 2015 17:57)

    表紙の写真のことで忠やんがZさんに提供を頼んでいたのを聞いてたけど、そんなすばらしいものなら「買わずにはいられない~」だね!今度の練習の時には、忠やん、持ってきてくれるよね?

  • #124

    たかちゃん (日曜日, 11 10月 2015 22:29)

    我が忠やんのCD「歌わずにはいられない~山本忠生が選ぶうたごえのライブステージ」が発売された。すぐ買った。そして、表紙を見て驚いた。何と!京都の音楽シーンを代表する人たち(おおげさ)が写っているではないか。巣立ちのKさん、Zさん、AさんをはじめM医師、美シャンテのTさん、衛都連のFさん、悪魔のFさん、ポッポのKさん、郵便の・・・などなど、そしてさらに「沖縄を返せ」のページには巣立ちの女声のNさんや府職労のNさん、「はたおり虫」のページはいきしあの面々、など、聴く前から興奮してしまった。そして心静かに聴いたわけであるが、個人的には最後の「歌わずにはいられない」が心に深く残りました。解説にあるとおり「自分の人生を要約するように歌語りし」た、というのがそう思えました。何となくトム・パクストンの「ランブリン・ボーイ」が浮かんできましたが、飛躍しすぎでしょうか?ともかく、このCDはお勧めです。皆様もぜひ聴いてください。そして感想を教えてください。

  • #123

    管理人 (月曜日, 28 9月 2015 19:54)

    みなさまへ
    このたび、巣立ちNO.1のホームページが日本のうたごえ協議会公式ホームページにリンクされました。
    是非ご覧下さい。

  • #122

    管理人 (木曜日, 24 9月 2015 08:50)

    みなさまへ
    第47回自治体のうたごえ合唱発表会、参加お疲れ様でした。
    当日の模様について、Yahoo!Boxにupしましたのでお聞き下さい。

    ※必要な方には下記アドレスをメールで送付いたします。
    http://yahoo.jp/box/××××
    PCメールアドレスを管理人までお知らせ下さい。

  • #121

    (木曜日, 17 9月 2015 17:28)

    すばらしい。
    19日の自治うた総会に向けての発言案に感動した。
    そうなのだ、そういう歴史であったのだ。
    歴史をタイムリーに語るのは難しいが、うまく語っている。
    20日の合唱発表会には行こう。
    歌えないのが申し訳ないが。
    戦争法案が参議院の委員会で強行された。
    こういう時期にこそ、荒木栄の値打ちが増す。
    「革命」が語られないときこそこそ、「前衛」が語られないときこそ、その実質を担う活動が必要である。
    京都からのささやかな歌声だが、ストレートな歌声を全国に伝えたい。

  • #120

    しげるちゃん (木曜日, 10 9月 2015 18:32)

    すごい!もう訂正されてる!管理人さんには頭が下がります。管理人さんには責任のないミスなのに。

  • #119

    管理人 (木曜日, 10 9月 2015 16:04)

    ありがとうございます。17日に訂正します。

  • #118

    しげるちゃん (木曜日, 10 9月 2015 12:40)

    「ようこそ」更新中の、沖縄県民大会は5月17日でした。

  • #117

    しげるちゃん (火曜日, 08 9月 2015 17:48)

    HPの「ようこそ」が更新されている!すごいね!

  • #116

    管理人 (火曜日, 01 9月 2015 12:35)

    祝 2015 日本のうたごえ祭典in愛知へ出場決定!

    巣立ちNO.1の演奏はホームページTOP画面右下にupしております。
    ぜひお聞き下さい。(ファイルが大きいので3分割にしています。)

  • #115

    しげるちゃん (月曜日, 31 8月 2015 18:24)

     29,30日は濃密な土日でした。29日は金ちゃんと同じく同学会の旗にときめきを覚えました。シールズ関西では同志社大学が存在感を発揮している感じ。京大も頑張れと思っちゃいました。デモ後、Z夫妻と少しく飲んだらすっかり酔っちゃって。30日は府民音楽会。本番より練習の方がよく歌えた感じだったけど、録音で聞いたら、まあまあ歌えている。合間にZ氏、N氏とともに白梅町で総がかり行動に参加。打ち上げはいつものラーメン屋で適度にしか飲まなかったのに、帰りのバスではしっかり寝入ってしまい、KさんIさんに起こしてもらった直後、Mさんから巣立ちが推薦されたとのメール!やったね、よかったね、がんばろうね!

  • #114

    (月曜日, 31 8月 2015 09:26)

    29日(土)に、円山公園で、弁護士会が主催する戦争法案反対の集会があった。
    本当なら30日に、全国統一で行うべしだったのだろうが、たぶんこちらが先に決まっていたので、京都ではこれに集中しようとなったのかな。
    こういう集会に出るのはずいぶん久しぶりだった。
    (スマナイ、各位へ)

    入口でZさんに出会った。Tシャツを売っていたのでカンパのつもりで買ったが、着て歩くのはちょっとつらいかな。

    歌声仲間のAさんやIさんもちらっと遠くで見かけた。
    府職労の昔の仲間たちも。
    満席で座っていたのでそのまま失礼させてもらったが。

    全学連の旗はあって当たり前なのだが、京大同学会の旗があったのにはびっくり。細々とでも再建されているのだろうか。
    カンパと署名を求める学生の元気にも敬服。
    「50年前の先輩です。頑張ってください」と激励。

    弁護士会の主催なので、壇上登壇者もいろいろ目配りされており、いろんな感覚があって良かった。
    小林節さんの話も、憲法から離れて、次の選挙で勝って廃止法を通そうと、アジ演説。この人の持ち味だな。

    デモも歩いた。
    最後まで歩き通したかったのだが。
    たまたま、会場で、知人と出会い、三条のビアホール前で失礼させてもらった。
    昔のような、激しいデモを、もう一度してみたいものだなあ。

  • #113

    たかちゃん (火曜日, 25 8月 2015 07:43)

    8月22日(土)は楽しみにしていた、国鉄大阪合唱団号笛の結成25周年コンサートに行ってきました。

     「働く者のうたごえ」というくくりでいえば、国鉄のうたごえは、私鉄、電通、郵便、教育、保育、医療、港湾、そして自治体という分野の中で常に先頭をきって走っている、輝かしく、力強い存在です。 期待して行きました。

     「さあ、いこうぜ」というかけ声で始まった「また逢う日まで」は、号笛はこんな歌も歌えるんだ、と感心し、続く「貝殻節」と「酔歌」は号笛の新しい可能性を感じました。

     我が忠やんは音楽アドバイザーということでしたが、唯一の伴奏が「さくらんぼの実る頃」で、この歌は加藤登紀子や女声合唱で聴き慣れていたところ、野太い男声合唱でもまた違った魅力を聴かせていただきました。

     「脱走兵」「欠陥」は号笛のおはこで、それはそれでよいのですが、私は「脱走兵」というよりは高石ともやの「拝啓大統領殿」のほうに親しみをもっています。

     つゆ草の演奏を聴きながら、三池のかあちゃんたちのがんばりを思いうかべていました。

     合唱構成「俺たちの鉄路」はこれまで歌い込んできた曲を語りとともに再構成したものですが、次の3点を感想とします。

    ①過去の曲もしっかり自分のものとし、レパートリーとしていること、
    ②創作活動の成果がすばらしいこと、
    ③JAL争議へのエールをうたっていること。

     それにしても、号笛の人気はすごいですね。会場は早々に満員になり、椅子席の追加も間に合わず、立ち見もたくさんおられました。

     また、守屋博之、高田龍治、原田義雄といったビッグネームも臨席され、京都の藤井幸枝、木戸史のほか、あじさいのKさん、Mさん、Iさんもおられました。

     私はいつもそうですが、最後列に座っていました。それでも、号笛の歌声はしっかり聴こえました。号笛は「常にフォルテでうたう」といわれていますが、今日の演奏では更にフォルテシモ、フォルテフォルティシシモもはっきり分かりました。

     三阪さんの伴奏も素敵でした。号笛の男たちをぐいぐい引っ張っているのですから。

     最後に、トップテナーの松岡さんの「A・・・・・」はすばらしかったです。ほれぼれしました。

  • #112

    たかちゃん (金曜日, 17 7月 2015 18:27)

    「山伏山」に行ってきたよ   

    昨年の祇園祭で、あじさいのFさんが山伏山で声をかけられたことがきっかけとなり、その後、日本のうたごえ祭典宮城のあと、

    モンタナリゾートでお話をした岩沼市のM青年にまた会いたい、ということで早くから計画をしていました山伏山訪問ですが、

    そのM青年が4月に異動になったということで一時はがっくりして断念もありかと思いましたが、替わりの青年が上京するということ

    を聞いたので、強行採決と台風で風雲急をつげるなかでしたが、7月15日18時過ぎ、山伏山を訪問しました。



    室町錦小路の交差点に「山伏山」の表示があり、その先に提灯が見えたのですぐわかりました。「山」ということで、「鉾」に比べて

    少し小さめでした。私は室町通りを四条から上がって行ったのですが、御池通り方面から下がってくる人のほうが多かったです。



    「山」の北側に、岩沼市のテントがあり、若い市職員2人(背の高い人と低い人)と業者(にしきや)の3人がおられました。

    私の前にFさんが訪問されていたので、私が声をかけるとすぐ楽しくお話ができました。

    M青年は現在生活衛生課の所属し、ごみの処理とか、犬の注射とか、要するに保健所の衛生部門全般を対応されているそうです。



    山伏山の事務所の奥には、岩沼市の竹駒神社から奉納された稲わらで作られた茅の輪がありましたのでくぐってきました。私の

    前後はいずれもアメリカ人で、この輪をくぐるときにはどういう作法をすればよいのか全くわかりませんでしたので、神社の礼拝方式を

    まねてみました。ほんとうはどうなんでしょうか?



    昨年までのM青年といい、今年の3人の青年もそうですが、若い人ががんばっている姿は素敵ですね。応援したくなりますね。

    私は、千年カレー、牛タンシチュー、みどり米めん、を買いました。

    来年もまた来てくださいね、と言ってお別れしました。



    私が茅の輪をくぐっているときにSちゃんがおいでになったようですね。

    みなさま、暑いなか、ご苦労様でした。

  • #111

    しげるちゃん (木曜日, 09 7月 2015 12:56)

    そっかぁ!たかちゃんは今様のシュプレヒコールにノリノリなんですね。僕的にはのってるような振りをしているけど、本心は四分音符か、「安保条約を廃棄しよう」「安倍内閣を打倒しよう」などのフレーズ絶叫型の方がいいんだけど。まぁ、デモもシュプレも、共感を広げるためなんだから、支持されるスタイルにしていかんとあかんし、僕たちの感性も変化させていかんとあかんのでしょうね。

  • #110

    たかちゃん (水曜日, 08 7月 2015 21:13)

    ものすごく久しぶりのたかちゃんです。
    6月28日に、大阪の北河内地域の争議団支援の宣伝行動が、京阪樟葉駅前であり、知人から誘われたので参加しました。 ここでつぶやきたいのは、その内容ではなく、そこでいまはやりのシュプレヒコールを初体験したことです。
    私らおじさんは、昔から、四分音符のシュプレヒコールをやってきましたね。つまり、
    /あんぽ・(はんたい)/とうそう・(しょうり)/とやってきたのが、今では、/あんぽ・はんたい・(あんぽ)・(はんたい)/とうそう・しょうり・(とうそう)・(しょうり)/というふうにですね。/あべは・やめろ・(あべは)・(やめろ)/せんそう・はんたい・(せんそう)・(はんたい)/とか。 16分音符ですね。 私はいきなりマイクをわたされて、やれ、と言われて聞きかじりでやりましたが、いやこれが調子がよいのなんのって、すっかりはまってしまいました。しげるちゃんやよしのりさんは経験済みでしょうが、私もこのノリにはくせになりそうです。
    終了後、男声合唱団すばるの演奏会に行きました。

  • #109

    (月曜日, 15 6月 2015 12:17)

    6月13日(日)、京都のうたごえ65周年祭に行きました。
    職域団体の合唱とはまた違った合唱の姿を見ることができ、良かったです。

    もう一つ良かったのは、参加者が一緒に歌える場面が何回もあったこと。
    しかもよく知っている歌ばかり。
    うたごえのイベントは、聞くだけのコンサートではなく、一緒に歌える点に値打ちを感じる。

    池辺さんと西谷さんのトークはうまくかみ合わず、残念だった。
    西谷さんの語りだけで良かったのに。
    最後に、池辺さんが一言コメントをするとかにとどめて。
    池辺さんが忙しすぎ、事前の打ち合わせとか、できないのだろうなあ。
    第1部と第2部の間に、1時間15分ものリハーサルを挟むとか、そのことがプログラムには書かれていないとか、疑問に感じた。

    その池辺さんであるが。
    配布された「うた新6/8号」に、星野文昭氏の獄中闘争に関し、共感の基調の文章を書いておられる。
    星野文昭氏は知らなかった。
    よく読むと、中核派の活動家である。
    えん罪事件かもしれない。
    ただ、若い警察官が一人死んでいるのである。
    中核派組織としては、死者を出してしまった行動を自己批判してしかるべきである。
    池辺さんの文章なので深く論じるつもりはないが。
    偉大な人は、扱い方が難しい。

  • #108

    たかちゃん (土曜日, 13 6月 2015 23:44)

    大阪府庁うたごえ合唱団50周年記念コンサート

    大阪府庁うたごえ合唱団団長であり、自治体のうたごえ協議会議長でもある山本勝彦氏からお誘いをいただきましたので、

    コンサートに行ってきました。 6月13日(土)、場所は大阪市の東成区民センター小ホールで、立ち見も出る盛況でした。



    オープニングでいきなり「はだしの青春」が演奏されたのには驚きと懐かしさでびっくりでした。私は京都に来た頃にしょっちゅう

    歌っていたので今でも歌えますが、大阪府庁うたごえ合唱団の創作曲とは知りませんでした。

    その後、「桑ばたけ」「こころひとつに」「青い空は」とよく知った曲が続き、冤罪事件を歌った「ゆらゆら春」のあと「仕事の歌」

    の一節が挿入された「うた~春を夢見た労働者に捧げる歌」から「民衆の歌」で第1部が終わりました。この「民衆の歌」は以前

    に聴いたセミプロのK合唱団の演奏とは違い、まさに民衆そのものの叫びの歌、という印象でした。



    第2部はゲストの演奏で、第3部は友情出演の衛都連合唱団を含むステージで、コンサートのテーマである「街の灯」、「貝殻の

    のうた」から「希い」「ふるさとは今もかわらず」と続き金子みすずの「このみち」でフィナーレとなりました。

    私はこのコンサートでふたつのことを感じました。

    ひとつ目は、一口に50周年とは言っても少なくとも2回の試練があったのだろうがそれを乗り越えたことです。

    1回目は、結成まもない頃、当時の大阪府職労執行部は自治労主流派で、合唱団は認知、援助を打ち切られながらも日うたに

    出場し、合唱団の名を高めたこと

    2回目は、7年前にH知事が就任し、組合や公務員攻撃にさらされながらも活動を続けたことです。働く職場の仲間に心を寄せ、

    歌い続けたからこそ、仲間も自分も励まし合い今日を迎えることができたのだと思いました。

    ふたつ目は、うたごえに関わった人なら耳にしたことのあるであろうビッグネームの二人、豊田光雄と森川和男の両氏がともに

    合唱団OBであった、と知り、改めて大阪府庁うたごえ合唱団の偉大さを再認識した次第である。



    蛇足であるが、大阪府職労は来年4月に結成70周年を迎えることから、まもなく実行委員会を立ち上げて記念事業を実施する

    予定とか。そしてその中で大阪府庁うたごえ合唱団も重要な地位を占めるとのことである。

    振り返って、わが京都府職労はいかに?

  • #107

    よしのり (火曜日, 19 5月 2015 23:37)

    戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会に参加して

    うたごえで激励し連帯の思いを伝えよう

     沖縄に着いた翌日、16日の日本うたごえ協議会の連絡では、県民大会当日の朝10時に大会会場隣の武道館前に集まり、参加されるみなさんにうたごえで激励し連帯の思いを伝えよう、とのことでした。なお、県民大会主催者には、日本うたごえ協議会として会場内のステージに立てるよう折衝中とのことでした。
     いよいよ大会当日の17日、私達は集合場所に向かいました。そこには、たかだりゅうじさんが待っておられ、「よく来られましたね」と、私達は暖かく迎えていただきました。
     結局、ステージには上がりませんでしたが、東京や横浜、愛知からもうたごえの仲間が駆けつけ、現地沖縄の仲間と共に、30名近い者が集まり、続々と参加するみなさんを街頭からうたごえで激励し連帯の思いを伝えました。集会に参加されるみなさんは、私達のうたごえに声を合わせ、力強く元気に会場に向かわれました。
     沖縄県民大会は目標を大きく突破する3万5千人の参加で大成功でした。私達は、参加されたみなさんを今度はうたごえでお送りしようと会場出口に集まり、続々と出てこられる人々に「沖縄を返せ」の連唱で送り出しました。
     何度も何度も「沖縄を返せ」を歌うのですが、3万5千人の参加者の列は切れることがありません。「沖縄を返せ」の歌声を聞き、来る人来る人の顔が満面に笑みを湛えます。もう、言い表せないぐらい豊かで、うれしそうな表情です。どの人もどの人も、歌っている私達に握手を求めるのです。中には立ち止まっていっしょに歌い出す人もいます。肩をたたき合う人もいます。まるでもう、勝利集会に参加したような喜びの様子でした。右翼の宣伝カーが何度も何度も横を通り過ぎましたが、うたごえはついにへこたれることなく、雄々しく豊かに「沖縄を返せ」の大合唱で全参加者を送り出しました。
     ステージには立たなかったけれど、あんなに大勢の人々と笑顔を交わし、握手し、歌い会えた喜びはこの場所でしか味わえません。参加して、たとえようもない幸せでした。

    沖縄は決して屈しない!
     安倍内閣は、自衛隊が米国のあらゆる戦争に“切れ目なく”参戦・軍事支援する「戦争立法」を国会に提出するなど、緊迫した情勢の中で開催された県民大会に参加し、沖縄の闘いは「オール沖縄からオールジャパン」への拡がりをもつものであることを確信しました。県民大会の成功は、「沖縄は決して屈しない」という強固なメッセージが日米両政府に発信されたことだと思います。
     戦後70年たっても米軍専用施設の74%が国土のわずか0.6%しかない沖縄に集中しており、そのうえ新基地建設などこれ以上の負担は認められないというのが沖縄の人々の願いであり、この最低限の訴えをも拒否する安部政権に怒りが高まる中、「知事に与えられたあらゆる手法を用いて新基地をつくらせないことを誓う」との翁長知事の決意に会場からは割れんばかりの拍手がわき起こりました。
     また翁長知事の「沖縄から日本を変えていきたい」という揺るぎない信念と闘いのスケールの大きさは、全国に熱い思いとして伝わったのではないでしょうか。翁長知事・安倍首相会談への関心の高さ、「辺野古」基金に対する全国からの応募者の拡がりがそのことを実感させます。
     県民大会司会者である普天間高校1年生の女子高生が立派に司会を務め、ほとんどの市町村長が舞台に並ぶ光景はまさにオール沖縄を象徴していました。

    オール沖縄を実感
     沖縄に到着した15日の午後から、私たちはタクシーを借り切り基地・戦跡を巡りました。運転手さんは南風原平和ガイドの会・沖縄平和ネットワークに所属され、親切・ていねい・格安で案内していただきました。「沖縄戦の悲惨な歴史の共有と、終戦直後から今日に至るまでも米軍に銃剣とブルドーザーで踏みにじられた思いの共有が『オール沖縄』を育てた」と言うことを教わりました。
     戦争末期、敵味方合わせて約20万人の尊い命が奪われた地上戦。沖縄は本土防衛の“捨石”とされ、犠牲者の半数近くが沖縄の住民の方たちでした。その壮絶な戦争の跡であるガマ(鍾乳洞)の脇にはひっそりとゲットウ(月桃)の花が咲いていました。
     軍隊は住民を守らないことや住民の目線で沖縄戦を語り伝えることの大切さを強調され、歴史を知るものなら新基地建設など決して許せるはずがないと強調されました。
     宜野湾市嘉数にある高台から普天間基地を望みました。滑走路の脇には、オスプレイが不気味に居並び、突然、台風一過の青空を切り裂く爆音とともにオスプレイが飛び立ちました。

    米軍基地は経済発展の阻害要因
     16日は、翌日の県民大会に先立ち、マイクロバスで辺野古へ。全国の支援者に情報提供を行う目的で設置された新基地反対名護共同センターの事務長さんより現状説明を受け、座り込みを続ける仲間への連帯・激励行動を行いました。
     キャンプ・シュワブには機動隊やガードマンがゲート前を固め、右翼団体が抗議団の周辺をうろうろとする異様な光景であり、権力者が押し進めようとする「戦争立法」具現化の最先端だと改めて感じました。
     300日以上続く現場のたたかいが翁長知事を支え、全国紙の世論調査でも新基地反対が多数を占めるようになりました。
     座り込みテント前の道路を通過する自動車からは「頑張れ」と連帯の手を振って声援が飛び、自動車を止めて拍手をする姿が見られました。
     支援に駆けつけた稲嶺名護市長は「私も市長としての権限、あらゆる手法で知事と共に必ず辺野古を止めるためにがんばります」と決意されました。稲嶺市長を囲んで記念写真を撮ることができました。
     座り込みを続ける仲間への連帯・激励行動に参加し、オール沖縄に発展したこの闘いから、米軍基地は経済発展の阻害要因となっていること、誇りある豊かさを求める闘いであり、安保廃棄の道につながる闘いであることを確信しました。
     新基地建設予定地が展望出来る大浦湾瀬嵩灯台跡に登り辺野古ブルーの海を一望しました。ジュゴンはこのエリアの浅瀬でアマ藻を食べていましたが、コンクリート・ブロックが投げ込まれ、近づけなくなり別の場所に行ってしまったそうです。ジュゴンは息継ぎ3分なので浅瀬でないと暮らせません。
     ジュゴンのいなくなった海に海上保安庁に雇われた漁船が5万円の日当をもらって監視する姿は情けなく思いました。

  • #106

    たかちゃん (火曜日, 19 5月 2015 22:58)

    5月16日(土)は京都も東京も雨でした。

    昨年末にお亡くなりになった笠木透さんの追悼コンサートがあるというので、東京へ行ってきました。

    追悼コンサートなどというものや、このところよく耳にする「お別れの会」「偲ぶ会」にはこれまで参加したことはありません。

    ただ、ずっと以前に、自治労合唱団時代のYさんの、いま思えば「偲ぶ会」のようなものには参加しましたが、そこでは、

    皆が押し黙って、しんみりして、暗い雰囲気で、故人の志を受け継いでがんばろう、というものではありませんでした。

    笠木透追悼コンサートは、故人と行動を共にしてきた人たちが、共に詩を作り、歌を生みだし、そして歌うなかでの思い出や、貧困や差別や暴力のない、平和な暮らしのへの闘いへの願いと決意を、それぞれの人の言葉で語られ、歌われました。

    高石ともやの語りの一節「・・・フォークジャンブリーで時代をゆらせ、友を唆し、平和を信じ、国を案じ、ふるさとを抱きしめ、朝に詩作、夕べに歌い、活火山のように生きた、同志笠木透が力尽きました。」が故人の人生をよくあらわしていると思いました。

    暗くならず、しんみりせず、かといってから元気でもなく、何となくほのぼのと明るい、明日からの一歩に背中を押してもらえるようなコンサートでした。

    横井久美子の歌った「風の中のレクイエム」の「・・・涙はやめて拍手を贈ろう  風のように生きたあの人に拍手を贈ろう」
    のところではグッとくるものがありました。

    ところで、我が忠やんも雑花塾の一員として出演されました。さすが年の功、と言っては失礼ですが、実に素敵なMCでした。

    「ユスラ・・」と「湯島・・」の話はもう一度巣立ちの皆さんとともに聴きたいなあ、と思いました。





  • #105

    しげるちゃん (金曜日, 08 5月 2015 17:55)

    まあまあというより、なかなかいいんじゃないですか。歌っている時は「もっとしっかり練習しとくべきだった」と思いながらの演奏でしたが・・・。

  • #104

    (木曜日, 07 5月 2015 08:07)

    すばらしい演奏じゃあないですか。
    巣立ちNo1の演奏は難しい歌ですね。
    DDMは安心して聞けました。
    料理の味がわからない人の感想は、「おいしかった」以上の表現は出てきません。
    僕も、これ以上の感想が書けません。
    しかし、良かった。

  • #103

    よしのり (水曜日, 06 5月 2015 20:55)

    みなさまへ
    本日の第39回上北なかままつり、大変お疲れ様でした。
    巣立ち及びDDMの模様です。
    下記アドレスを開いてDLして下さい。
    http://yahoo.jp/box/xbQMQT

  • #102

    (水曜日, 29 4月 2015 12:40)

    「福島 想い・つながるコンサート」に客席から参加しました。
    僕の地元での開催だし、これは行かなくちゃあ、と。
    収穫祭で楽譜集を買っていたのです。
    男声合同で歌われた、「遙かな友に」「見上げてごらん夜の星を」は、どちらも心が温かくなる、好きな歌です。
    丹後に単身赴任し、一人部屋で寂しくしていたとき、すぐ隣の丹波小学校から昼休みに流れてきたのが「Believe」で、この歌にどれだけ励まされたでしょう。
    「アメイジンググレイス」はあまりに有名なだけに、それぞれが何か、この歌に絡んで思い出すものがあるのです。僕も。
    「釜石小学校校歌」。井上ひさしが作詞し、宇野誠一郎が作曲とは。これを校歌にした学校の度量に敬服する。

    忠やんが男声合唱の指揮をするとき、後ろを向いて、みんなも声を上げてと、合図をしてくれました。
    これが歌声の心なんだなあ。
    僕も楽譜を見ながら歌いました。
    お客さんより、舞台に立つほうが良いのはもちろんだなあ。

  • #101

    よしのり (火曜日, 28 4月 2015 23:45)

    本日の練習部分です。
    DLして練習して下さい。

    http://yahoo.jp/box/aBh_Tv

  • #100

    たかちゃん (土曜日, 25 4月 2015 20:45)

     この間、京都では争議団支援の取り組みが立て続けに開催されました。その報告です。

    1 全厚生裁判報告集会

     全厚生分限免職処分取消裁判の1審判決が3月25日にあり、その報告集会が4月17日(金)にラボール京都でありました。
     判決は、原告の訴えに全く耳を貸さないもので、国の主張を全面的に採用し、国の社会保険庁の廃止と職員の分限免職処分は合法で、解雇回避努力も不十分ではなかった、というものでした。
     原告全員が控訴を決意し、不当判決を跳ね返していく決意を述べられました。
     うた草のAさんのアコーディオンで全厚生の創作曲「はな」を演奏し、最後に「がんばろう」を歌いました。
     約100名の参加で盛り上がりました。私のほか、電通のOさん、あじさいのMさんが参加されました。

    2 争議支援月例宣伝

     京都の四条烏丸交差点での月例宣伝が4月20日(月)に行われ、あいにくの雨の中でしたが、うたごえからは私のほか、電通のOさん、長岡京市のSさんが参加しました。
     JALと全厚生の原告、それに支援共闘会議の15名が横断幕を掲げて通行の市民にアピールしました。
     今後の月例宣伝は5月18日(月)、6月18日(木)、7月21日(火)の予定で、支援共闘会議からは「雨でもやる!」との決意が示されました。

    3 JAL闘争最高裁決定報告集会

     JALの不当解雇撤回乗客・乗員訴訟の上告棄却・上告不受理の決定が2月4日・5日になされたのを承けて、その報告集会が4月22日(水)にラボール京都で開催されました。
     客室乗務員原告団内田妙子団長から「お礼と決意」での詳しい報告、原告の小森啓子、西岡ひとみ、神瀬麻里子さんの決意など、いずれも深い怒りととともに前に向かって進む決意に満ちた集いとなり、内田団長の「あきらめない限り負けはない!」の言葉に深い共感が寄せられました。
     うたごえでは、私のほか、電通のOさんら2名、アコーディオンのAさん、大阪から3名ほかの10名で、「あの空へ帰ろう」を参加者全員と歌いました。

     この日は巣立ちの練習日でもあったわけですが、私は、「職場のうたごえ」を標榜している以上はこのような取り組みへの参加の方が優先されるべきだと考えて集会に参加しました。

  • #99

    よしのり (木曜日, 23 4月 2015 10:29)

    昨日の練習部分です。
    DLして練習して下さい。

    http://yahoo.jp/box/Dnmijq

  • #98

    よしのり (日曜日, 05 4月 2015 21:33)

    福島 想い・つながるコンサート 男性練習‏

    みなさまへ
    4月4日に行われた練習録音の模様です。下記アドレスを開いてDLして下さい。
    音声を聞いて独習して下さい。
    次回、第7回合同練習&リハーサルは4月19日(日)、男性は11時から、大谷高校講堂です。
    参加お願いします。

    http://yahoo.jp/box/AjkeK4

  • #97

    よしのり (日曜日, 15 3月 2015 20:06)

    福島 想い・つながるコンサート 男性練習‏

    みなさまへ
    3月14日に行われた練習の模様です。下記アドレスを開いてDLして下さい。
    音声を聞いて独習して下さい。
    次回練習は3月29日(日)12時~ 東部文化会館です。
    参加お願いします。

    http://yahoo.jp/box/Axu-Nc

  • #96

    よしのり (木曜日, 12 3月 2015 09:33)

     東京電力福島第1原発事故から4年を迎え、「原発動かすな! 福島に思いをはせ みんなでデモしよう!」と「バイバイ原発 3.7 きょうと」の集会及び「きたかみ原発ゼロネット」の「3.11きたかみ大行進」に参加しました。詳細は「行ってきたよ・見てきたよ」を見て下さい。小出さんの講演、集会決議の音声付きです。

  • #95

    よしのり (金曜日, 27 2月 2015 22:29)

    不当解雇の撤回を
     青いとり保育園 保育と職員の雇用を守る緊急集会に参加しました

     京都市立病院の院内保育所「青いとり保育園」で、保育士はじめ、従業員全員解雇という異常事態が起きています。
     4年前の病院の法人化に伴い、院内保育所の経営が民間委託化、運営主体のピジョンハーツは給与を3割カット、全員1年契約の非正規雇用としました。2015年度から入札の結果、経営主体がアートチャイルドとなりますが、委託費を大幅に減額して契約した結果、給与は手当含め半減の16万円に、さらに、現在勤務中の保育士とは契約しないと異常事態です。
     福祉保育労京都地方本部書記次長の澤井さんは「子どもの命を預かる職場が、基本給で最低賃金を下回る処遇で良いのか。現場にもの言わせない管理者が経営する民間保育園で2件の事故が発生している。長年働いてきた職員を不採用にしたアートチャイルドと、安上がりで現場の労働者に責任を押しっける保育を許した京都市の責任を追及していきたい」と力強く訴えています。

  • #94

    管理人 (木曜日, 19 2月 2015 23:30)

    「忠やんのうたごえ旅日記」、現在NO.41まですべて読むことができます。
    失礼しました。

  • #93

    管理人 (木曜日, 19 2月 2015 23:28)

     「忠やんのうたごえ旅日記」は、長らく欠番であったNO.10をたかちゃんに探してもらったおかげで、現在NO.40まですべて読むことができます。
     是非この機会に通読していただき、忠やんのうたごえに対する深い思いを共有したいものです。

  • #92

    たかちゃん (火曜日, 13 1月 2015 20:19)

    少し古い話題ですが、昨年12月6日に、京都電通合唱団創立60周年記念コンサートがあり、聴いてきました。
    私が電通合唱団に関心を持ったのは、日本のうたごえの歴史の中で、全電通は1964年電通のうたごえ祭典の運営をめぐり日本のうたごえ実行委員会と対立し、1965年11月に日本のうたごえ実行委員会から分裂し、日本音楽協議会(会長:芥川也寸志)を設立した中心だったからです(他に、全逓、全林野、私鉄、国労、全専売、そして自治労も)。にもかかわらず、京都では(大阪、兵庫でも)電通のうたごえの灯を守り、今日までうたい続けた苦労と努力を多とするからです。実際、コンサートでは「熾烈な攻撃の中で、職場の民主化を願い人間らしく働き続けたいと心を寄せ合い歌った」その歴史が表れていました。「母さんの樹」は、今、どれだけの人が知っているでしょうか?
    京都のうた協が何かおかしな方向に向いていると感じる私にとって、電通京都のうたごえは、働くものの歌声の方向(何をうたっていくべきか)、そしてうたうことだけでなく実際の行動も、という方向性を示唆しているのではないか、と感じました。

  • #91

    たかちゃん (水曜日, 07 1月 2015 21:09)

    あけましておめでとうございます。たかちゃんの復活です。今後ともよろしくおつきあいください。
    昨年末は、笠木透さんの訃報でがっくりしました。
    私は学生時代は吉田拓郎のファンでして(今もそうですが)、その拓郎が中津川フォークジャンボリーで問題を起こしたという話を聞き、最初は元気やのうと思っていたのですが、やがてフォークジャンボリーが中止になったことでなんちゅうことをしたと怒ったものです(真相はわかりませんが)。そのフォークジャンボリーを運営されていたのが笠木透さんだったのですね。
    その後、SINGOUT誌でフィールドフォークfrom中津川や我夢上下座のことを知り、さらに今も山城地域で活躍の女性合唱団Rの指揮者Oさんから笠木さんの曲を指揮していただいたことでファンになりました。
    今から7年前に一度だけお会いしてCD「丸腰でいこうぜ」にサインをしていただきました。その時の印象は、顔がでかい、体がでかい、声がでかい、態度もでかいという「大物」だ、というものでした。
    「おいで一緒に」「私に人生と言えるものがあるなら」「ひとつぶの涙」が好きです。
    これからも歌っていきたいと思います。ありがとうございました。

  • #90

    しげるちゃん (日曜日, 04 1月 2015 17:56)

     みなさま、明けましておめでとうございます。大雪で予定を一日延ばして、帰省先から戻ってまいりました。渋滞の中、荒木栄や今度長岡で歌う「静かな~夜更けに~、い~つもいつも」を口ずさみながら。あっ、長岡は後半戦投票日と重なってて、行けないかも知れないけど。まぁ、今年もがんばりましょうね、みなさま方。

  • #89

    管理人 (木曜日, 01 1月 2015 00:28)

    みなさま
    あけましてめでとうございます
    本年もどうぞよろしくお願いします。

  • #88

    管理人 (火曜日, 30 12月 2014 21:06)

    みなさまへ
    今年もあとわずかで終わろうとしています。
    このホームページもみなさまの暖かいご愛顧を頂き、無事年を越せそうです。
    何とか年内に『忠やんの旅日記』をアップしようと奮闘の結果、ようやく1号から最新号まで掲載することができました。ただ10号(発行日2012年7月)が手に入りません。誰か持ってませんか。あればご提供願います。
    それではみなさん、よい年をお迎え下さい。